明石城概要: 元和3年(1617)、小笠原忠真が大坂の陣の功績により松本城(長野県松本市)から10万石で入封し明石藩を立藩します。当初は船上城に入城しましたが、忠真は徳川家康の外孫に当たる譜代大名として重要視され2代将軍徳川秀忠の命により明石城の築城が行われ幕府からは銀1千貫が与えられました。城は明石の岡に築かれた平山城で山頂付近の本丸の4隅には3重3階の櫓を配し、その他の郭には2重櫓6基、平櫓10基、城門は27箇所にも及び本丸を中心に東の丸、二の丸、稲荷曲輪、帯曲輪、北の曲輪、山里曲輪、三の丸、屋敷曲輪からなる大城郭となりました。元和6年(1620)に大凡完成し西国の外様大名に睨みを効かせる上でも重要視され小笠原以後も戸田松平家、大久保家、藤井松平家、本多家、越前松平家有力譜代大名が藩主を歴任しています。
明石城の文化財
・ 城内一帯−国指定史跡
・ 城内一帯−日本100名城
・ 巽櫓(3重3階・伝船上城櫓)−元和5年−国指定重要文化財
・ 坤櫓(3重3階・伝伏見城櫓)−元和5年−国指定重要文化財
・ 切手門(月窓寺に移築、伝伏見城薬医門)−明石市指定文化財
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