尼崎市: 貴布祢神社

  兵庫県:歴史・観光・見所尼崎市:観光>貴布祢神社

貴布祢神社
貴布祢神社
[ 付近地図: 兵庫県尼崎市 ]・[ 尼崎市:歴史・観光・見所 ]
貴布祢神社 貴布祢神社 貴布祢神社 貴布祢神社
貴布祢神社 貴布祢神社 貴布祢神社 貴布祢神社
概要・歴史・観光・見所
貴布祢神社(尼崎市)概要: 貴布祢神社の創建は不詳ですが霊亀年間(715〜717年)又は、嘉暦元年(1326)に創建されたとも云われています。伝承によると玉依姫命(神武天皇の御母神)が京都の貴船に水神を祭った際、黄船に乗って瀬戸内から尼崎、淀川、鴨川を遡り貴船に至った事が伝えられており、この尼崎が貴布祢神社の当初の鎮座地だった長洲と推定されています(現在も長洲には同社号の貴布祢神社が鎮座しています)。当地は賀茂大社(京都府京都市)の荘園だった事から鎌倉時代に御厨の雑掌として大覚寺(京都市右京区嵯峨)が管理すると、御厨の守護神として賀茂大社の祭神である賀茂別雷大神と賀茂御祖大神が勧請され、その後、改めて京都の貴船神社(京都府京都市左京区)の祭神が勧請されたと思われます。その後は尼崎の総氏神として信仰される共に歴代領主からも崇敬庇護され、最盛期には社領800石を領し、江戸時代には歴代尼崎藩主の祈願所として雨乞いの祈祷などが行われました。社殿の造営や例祭の費用なども藩費によって賄われ、松平忠告は祈雨の和歌を奉納しています。尼崎城の築城(16世紀)に際し当初の長洲から三の丸に遷座され、元和3年(1615)戸田氏鉄が城を改修した際、汐町に再遷座、さらに正徳5年(1715)に現在地に再々遷座しています。古くから神仏習合してきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治6年(1873)に郷社、大正9年(1920)に県社に列しています。昭和20年(1945)に太平洋戦争の空襲に被災し多くの社殿、社宝、記録などが焼失し昭和25年(1950)に再建されました。南門(神社山門)は数少ない往時の遺構で、切妻、本瓦葺、一間一戸、四脚門、平成7年(1995)の阪神淡路大震災により半壊しましたが、その後復旧しています。祭神:高おかみの神。配祀:加茂別雷神、加茂御祖神。
住宅設計案内

 尼崎市観光・旅行見所ナビ:
尼崎城貴布祢神社桜井神社尼崎戎神社本興寺長遠寺善通寺旧尼崎市立開明小学校阪神電鉄資材部西倉庫寺町猪名寺廃寺跡
田能遺跡
 
 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「兵庫県歴史観光案内所」は「兵庫県の歴史」、「郷土資料辞典−兵庫県」、「日本の城下町−山陽」、「城郭と城下町−山陽」、「山陽道」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。