赤淵神社(朝来市)概要: 赤淵神社の創建は継体天皇25年(531)に勧請されたのが始まりと伝えられています。大化元年(645)、新羅の賊徒が白糸の浜に侵攻、迎え撃った表米宿彌命は思わぬ苦戦を強いられ、乗船した船が沈没しそうになりましたが、海中より無数のアワビが浮き上がり船を持ち直すと見事勝利、表米宿彌命は海神(大海龍王)の神意と悟り赤淵神社にアワビを奉納し、例祭にはアワビの神事が行われ、現在でも氏子達はアワビに感謝し決して食することがないと云われています。別説では、表米宿彌命が船上で危機に陥った際に粟鹿神に祈願すると、危機を脱する事が出来た事から粟鹿神を祭るようになったとも云われています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社として記載され、表米宿彌命の後裔にあたる日下部氏の崇敬社として庇護され社運が隆盛します。歴代領主である八木氏や越前守護職である朝倉氏も同族として赤淵神社を崇敬し社殿の造営や修築、社領の寄進などが寄進されていましたが、戦国時代に八木氏が没落し、羽柴秀吉も社領を認めなかった為に衰微しました。その後、再興されますが往時には及ばず、八木家の庶流が旗本として命脈を保ち社殿などが再建されています。又、古くから神仏習合し、別当寺院として神淵寺がその役を担いましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され神社として独立し明治6年(1873)に村社、大正4年(1915)に神饌幣吊供進社に指定、大正10年(1921)に郷社、昭和8年(1933)に県社に列し境内には神淵寺の山門である楼門や御堂(旧神淵寺、本地仏だった阿弥陀如来像や大日如来観世音菩薩像などが安置、木造阿弥陀如来坐像は朝来市指定文化財)が残され当時の名残が見られます。祭神:大海龍王神、赤渕足尼神、表米宿禰神。
現在の赤淵神社本殿は永徳〜応永(1381〜1427年)に建てられたもので三間社流造、柿葺、桁行4.8m、梁間3.1m、改修や修築が何度も行われているものの、主要部材や蟇股、懸魚などの細部も残されており、兵庫県の三間社本殿建築の中では古い部類にあたる貴重な遺構として国指定重要文化財に指定されています。楼門(神社山門)は宝暦2年(1752)に造営されたもので、入母屋、桟瓦葺、一間一戸、四脚楼門、上層部には高欄が廻り、外壁は素木板張り、市内に残る数少ない楼門の遺構として貴重な事から朝来市指定文化財に指定されています。勅使門は元禄7年(1694)、当時の八木城主八木勘十郎宗織が再建(寛政9年:1797年修築)したもので切妻、桟瓦葺、一間一戸、四脚門、欅材、江戸時代中期の勅使門建築の遺構として貴重な事から朝来市指定文化財に指定されています。
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