旧居留地(神戸市): 三宮神社

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三宮神社
三宮神社
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三宮神社 三宮神社 三宮神社 三宮神社
歴史・観光・見所
三宮神社概要: 三宮神社の創建は不詳ですが、伝承によると神功皇后が三韓征伐(古事記や日本書紀によると神功皇后は現在の朝鮮半島にあった新羅・百済・高句麗の3国に侵攻して従えたとされます。)を終え都に戻る途中に当社を訪れ参拝したと伝えられています。当時は境内から豊富な清水が湧き出ていた事から信仰の対象となり、水神とされる湍津姫命が主祭神として祀られています。生田神社(名神大社、生田神社にも神功皇后の伝承が伝えられています。)とも関係が深く、生田裔神八社の内の三番目に格付けされている事から三宮神社の社号の由来になったとされます。元々、生田裔神八社には天照大神と建速須佐之男命が生んだとされる三女神五男神の八神がそれぞれの社に祀られていたとされ、三宮神社は天照大神が生んだ建速須佐之男命の御子神の宗像三女神(田心姫・湍津姫・市杵嶋姫)の一人湍津姫命が祀られました。その後は当地域の氏神として篤く祀られ、江戸時代には寛延元(1748)に石灯籠を奉納するなど尼崎藩主から崇敬庇護されます。慶応元年(1868)、岡山藩一行が三宮神社に差し掛かった時、その隊列の前にフランス水兵が横切りるという事件が起こりました。江戸時代には参勤交代などの隊列中に隊を横切り事は死罪に値する行為だった為、岡山藩兵は威嚇したところ、当時の日本の仕来りを知らなかったフランス水兵は身の危険を感じ拳銃を突きつけました。それに対し、岡山藩兵が発泡した事で事態が急変しフランス水兵はアメリカ兵やイギリス兵を引き入れ神戸に侵攻し岡山藩との銃撃戦となりました。家老の耳に入ると両軍引き上げましたが隊の隊長であった滝善三郎は責任をとって切腹し一応の決着をえました。
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