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兵庫県・名所・見所 |
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豊岡市出石町概要: 出石町の歴史は古く和銅5年(712)に編纂された古事記によると新羅(4世紀から10世紀に存在した朝鮮半島南東部の古代国家)から渡来した天日槍命が泥海を開発したのが始まりと記されています。5世紀頃には出石茶臼山古墳(円墳、直径49m、三段構造)が築造され、当時出石町周辺を支配する豪族の存在を示し、袴狭遺跡では出土品や遺構から但馬国衙や出石郡衙又はそれらの関係施設と推定され、古代但馬国にとって出石町が中心的な役割を持っていたとも考えられます。こうした背景から古くから但馬国一之宮を掲げる出石神社(祭神:天日槍命)も創建されは天日槍命の葬られた聖地として神聖視されました。中世に入ると山名氏が支配し応仁の乱後は守護所を出石町に移した事で但馬国の中心地として文化的にも発展します。戦国時代に入ると山名氏が衰退し永禄3年(1569)には織田信長の命により羽柴秀吉の侵攻を受け、居城である此隅山城が落城、さらに居城を有子山城に移しましたが天正2年(1574)に再度秀吉に攻められ落城しています。出石領は秀吉の従兄弟小出吉政が配され、慶長5年(1600)の関が原の戦いで西軍に属するものの、弟である秀家が東軍で活躍した事で領地6万石が安堵され出石藩を立藩します。慶長9年(1604)、2代小出吉英が出石城を築城し城下町を整備、領内の整備を行います。元禄9年(1696)小出英及が死去すると無嗣だった為改易になり、岩槻藩から松平(藤井)忠周が4万8千石で入封、宝永3年(1706)に忠周が上田藩(長野県上田市)へ移封になると、代わって上田藩から仙石政明が5万8千石で入封します。以来、仙石氏が明治2年(1869)の版籍奉還まで8代藩主を歴任しています。現在も古い町並みが残り昭和62年に兵庫県指定景観形成地区に指定され平成19年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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豊岡市出石町 |
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豊岡市出石町:観光・見所 |
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