真光寺概要: 真光寺の創建は仁明天皇の御代(833〜50年)、恵萼(平安時代前期の僧:唐の補陀山に補陀洛山寺を開山)が唐から船で帰郷した際、和田岬で急に船が進まなくなった為、仏意と悟り持参していた観世音菩薩を祀る御堂を建立したのが始まりと伝えられています。平安時代末期には平清盛が帰依し境内には安芸宮島に鎮座する厳島神社の分霊を勧請した真野弁財天を創建、しかし、平家が滅びると衰退します。建治2年(1276)、一遍上人が再興、正応2年(1289)に一遍上人が遷化(享年51歳)すると2世となる他阿上人が寺院として境内を整備し伏見天皇から真光寺の寺号を賜っています。当時の播磨国守護職赤松円心も篤く庇護し境内には七堂伽藍が建ち並び寺領は38町四方に及ました。さらに南北朝時代、後醍醐天皇の帰依により「西月山」の山号を賜り、尊観法親王(亀山天皇の孫・後の遊行上人)が住職になるとさらに寺運が隆盛しました。江戸時代に入ると次第に衰微し昭和20年(1945)の戦災により多くの堂宇、記録、寺宝などが焼失しています。
真光寺の文化財
・ 紙本著色遊行縁起(10巻)−元亨3年−国指定重要文化財
・ 一遍上人五輪塔一遍廟所−鎌倉時代後期 −兵庫県指定史跡
・ 石造五輪塔(花崗岩製、高さ195cm)−南北朝時代−兵庫県指定文化財
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