三田市: 駒宇佐八幡神社

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駒宇佐八幡神社
駒宇佐八幡神社
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駒宇佐八幡神社 駒宇佐八幡神社 駒宇佐八幡神社 駒宇佐八幡神社
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概要・歴史・観光・見所
駒宇佐八幡神社(三田市)概要: 駒宇佐八幡神社の創建は貞観元年(859)、行教(奈良大安寺の僧:弘法大師空海の弟子)が宇佐神宮の分霊を京都男山に勧請する途中この地を通りかかると、突如として紫雲が立ち上り、乗ってきた白馬も石化しました。それを見た八幡神は霊地と悟り、この地に私を祀りなさいと命じたそうです。早速、村人達は社殿を設け、八幡神が宇佐から白馬に乗ってこの地を訪れた事から駒宇佐八幡神社と称する事になったと伝えられています。江戸時代に入ると三田藩主九鬼家の歴代の祈願所として庇護され承応3年(1654)には2代藩主九鬼隆昌が長床を寄進し、明和3年(1766)には8代藩主九鬼隆邑と周辺(須磨田6ヶ村)住民の浄財により本殿を再建しています。現在の本殿はその当時のもので、一間社、流造、檜皮葺、正面は入母屋、背面が切妻、江戸時代中期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から三田市指定文化財に指定されています。長床は入母屋、桟瓦葺、桁行7間、梁間2間、外壁は柱のみの吹き放し、腰壁は縦板張り、石段の左右に橋のように架けられ、中央の下を潜るように配されている古式を伝える貴重な建物で三田市指定文化財に指定されています。舞殿は入母屋、銅板葺(元茅葺)、桁行1間、梁間1間、外壁は4本柱のみの吹き放し、例祭には百石踊りが奉納、古建築の遺構として貴重な事から三田市指定文化財に指定されています。随神門(神社山門)は切妻、銅板葺、三間一戸、八脚単層門。拝殿は割拝殿形式、入母屋、銅板葺、平入、正面軒唐破風向拝付、桁行3間、梁間2間。兵庫県指定無形民俗文化財に指定されてる百石踊りは文亀3年(1503)の大旱魃の際、天台宗の僧とされる元信が七日七晩雨乞いの祈祷を行ったところ、霊夢に派手な衣装に唄い踊っている多くの小人達が現れ、それを満足そうに見つめていた八幡神がいたそうです。目を覚ましてみると大雨となり住民達の生活が守られた事から、霊夢の出来事を再現するように新嘗祭には百石踊りを奉納するようになったと伝えられえています。祭神:応神天皇。
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