金心寺概要: 金心寺の創建は天智天皇7年(668)、藤原鎌足の子供とされる定恵上人が兄である有間皇子の菩提を弔う為に開いたのが始まりと伝えられています。創建以降寺運が隆盛し境内には七堂伽藍が建ち並び、門前町もおおいに発展しましたが、戦国時代、荒木村重が謀反を起こすと、当時の三田城の城主が荒木家の一族だった事から織田信長の軍勢に侵攻され、金心寺もその兵火により焼失しています。江戸時代に入り再建されましたが往時の規模には遠く及ばなかったそうです。当初は屋敷町にありましたが明治2年(1869)に現在地に移され、その際、戦国時代の兵火の焼失を免れる為、池に沈められた仏像が引き上げられ安置されました。本尊の胎内に三田の地名の由来が記されていて金心寺の教えである「敬田」、「恩田」、「悲田」の三福田が地名の起こりとしています。現在の表門は三田藩の下屋敷の門を移築したものです。
金心寺の文化財
・ 弥勒菩薩坐像−平安時代−国指定重要文化財
・ 不動明王立像−南北朝時代−国指定重要文化財
・ 絹本著色十一面観音画像−平安時代−国指定重要文化財
・ 創建時の礎石−三田市指定文化財
|