三田城

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三田城
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三田城・歴史・観光・見所
三田城概要: 三田城の前身である車瀬城の築城には諸説あり有馬村秀が築いたとも、天正10年(1582)に山崎片家の家臣車瀬政右衛門が築いたとも有馬則景が築いたとも云われています。天正3年(1575)有馬氏の主流が滅ぶと荒木村重の一族である荒木平太夫が三田城の城主として入城しますが、天正6年(1578)、村重が織田信長に対し謀反を起こすと連座し羽柴秀吉、明智光秀などに攻められ落城しています。天正10年(1582)に山崎片家が2万2千石で入封すると2代に渡り城郭の整備拡張を行っています。慶長5年(1600)2代山崎家盛が関が原の戦いで西軍に組した為、若桜鬼ヶ城(鳥取県若桜町)に移封となり、代わって有馬則頼が2万石で入封します。慶長7年(1602)有馬則頼が死去すると、嫡男で福知山藩主となった豊氏が家督を継ぐことになり三田藩は福知山藩(京都府福知山市)に併合となり廃藩となります。元和6年(1620)、大坂の陣の功により豊氏が久留米藩20万石で移封になると三田には上山藩(山形県上山市)から松平重直が3万石で入封し改めて三田藩を立藩します。寛永10年(1633)、重直が高田藩に移封になると鳥羽藩から九鬼久隆が3万6千石で入封します(事実上、九鬼家の御家騒動の采配で久隆が三田、兄である九鬼隆季は2万石で綾部藩:京都府綾部市)に移封になっています。)。当初、九鬼家は城主格では無かった為、城が築かれず陣屋構えでしたが陣屋には似合わない大堀を設け九鬼水軍縁の水上訓練が行われていたと伝えられています。10代藩主九鬼隆国の代に城主格となり三田城となっています。
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