慧日寺 |
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[ 付近地図: 兵庫県 ]・[ 丹波市 ] |
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慧日寺概要: 慧日寺の創建は永和元年(1375)、当時の管領細川頼之と子息である頼元が特峯禅師(仏国国師の法嗣・夢窓国師の兄弟弟子)を招いて開いたのが始まりとされます。最盛期には臨済宗の中本山として丹波国禅宗の中心的な存在となり境内には18ヶ寺の塔頭寺院があり46ヶ寺の末寺を擁していました。天正3年(1575)、明智光秀の丹波侵攻の兵火により多くの堂宇が焼失しましたが、寛永年間(1624〜45)大愚禅師と別心禅師により再興が図られ順次堂宇が再建されて徳川将軍家より朱印状を賜っています。現在の仏殿は元禄15年(1702)に再建されたもので入母屋、檜皮葺、一重裳階付、桁行1間、梁間1間、江戸時代中期に建てられた仏殿建築の遺構として貴重な事から昭和60年に兵庫県指定文化財に指定されています。山門は文政9年(1826)に改修された四脚門で切妻、桟瓦葺、桁行14.25尺、梁間11尺、昭和54年に丹波市指定文化財に指定されています。寺宝が多く絹本着色仏光国師像(1幅)、絹本着色仏国国師像(1幅)、絹本着色夢窓国師像(1幅)、絹本着色仏印心伝禅師像(1幅)、木造仏印心伝禅師坐像(1躯)、紙本墨書朱印状(7通:8代将軍徳川吉宗から14代将軍徳川家茂まで)が丹波市指定文化財に指定されています。
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