丹波市: 黒井城(保月城)

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黒井城(保月城)
黒井城(保月城)
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黒井城(保月城)・歴史・観光・見所
黒井城(保月城)概要: 黒井城の築城年は不詳ですが南北朝時代に赤松貞範によって築かれたとされています。記録的には建武2年(1335)、軍功により赤松貞範に丹波国春日部が与えられていることから、貞範が築きその後も赤松氏が城主あるいは城代を派遣して当地域を支配したと思われます。戦国時代に入ると荻野氏が台頭し天文年間(1532〜54)には荻野秋清が城主となっていましたが父親である正元に預けられていた赤井直正が秋清を刺殺し、以後直正が黒井城の城主となります。直正は猛将として知られ、周囲を統一すると隣国である但馬国や丹後国にも兵を送り元亀元年(1570)には織田信長に臣従し氷上郡、天田郡、何鹿郡が安堵されました。その後、領地が接する山名祐豊との争いから竹田城を奪取、信長とも対立するようになり天正3年(1575)、家臣である明智光秀に丹波侵攻により黒井城が包囲されます。籠城戦は2ヶ月に及びましたが、援軍にきた波多野秀治が明智軍の背後を突いた為、明智軍は総崩れとなり撤退を余儀なくされます。しかし、天正5年(1577)には再び光秀の侵攻が始まり、盟友である波多野の居城八上城から攻略され、天正6年(1578)には八上城、黒井城共に落城しています。その後、斎藤利三、堀尾吉晴、川勝秀氏などが城主を勤めましたが関が原の戦い後に廃城になったと推定されています。黒井城(保月城)は郭の形状や石垣、土塁、空堀などが残り、中世の山城として大変貴重な事から国指定史跡に指定されています。
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