朝光寺概要: 朝光寺の創建は白雉2年(651)、印度から紫雲に乗り当地を訪れた法道仙人によって開かれたのが始まりとされます。当初は権現山にありましたが、治承8年(1184)一ノ谷の戦いの前哨戦でとされる三草山の戦いの兵火により大きな被害を受け、境内が手狭だった事もあり後鳥羽天皇の勅命により文治5年(1189)に現在地に移されたとされます。現在の本堂は応永20年(1413)に再建されたもので(本堂内部にある厨子の墨書により応永20年に京都三十三間堂から譲り受けた千手観音像を本尊として安置、正長元年:1428年に屋根工事が完成したとあります。)寄棟、本瓦葺、桁行7間、梁間7間、3間向拝付(文政12年:1829年に建築)、折衷様、内部は中世密教寺院の特徴である聖域である内陣と人界である外陣とを明確に分けています。中世に入ると歴代領主からも庇護され永正年間(1504〜20)には赤松義村が境内の整備を行い、慶長6年(1601)には初代姫路藩主池田輝政が多宝塔を寄進しています。
朝光寺の文化財
・ 本堂−応永20年−国宝
・ 厨子−応永20年−国宝
・ 鐘楼−鎌倉時代後期−国指定重要文化財
・ 多宝塔−慶長6年−兵庫県指定文化財
・ 鬼追踊−兵庫県指定無形民俗文化財
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