尼崎市: 尼崎城

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尼崎城
尼崎城
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尼崎城 尼崎城 尼崎城 尼崎城
歴史・観光・見所
尼崎城概要: 尼崎城は大永6年(1526)、細川高国によって築かれたのが始まりとされます。当時は大物城と称し現在地の北東に位置していたと推定され高国の従兄弟である細川尹賢が城主として配されました。細川氏が衰退すると荒木村重が台頭し有岡城の支城として荒木村次(村重の嫡男)が城主となり、天正6年(1578)に織田信長により有岡城が攻められた際には村重が大物城を経由して他国に脱出したと云われています。その後、池田輝政や三次秀次が城主となり豊臣政権が安定すると建部高光が代官として赴任しています。元和元年(1615)、武部政長が大坂の陣の功により1万石の諸侯に列しましたが元和2年(1616)に播磨林田に転封、代わって 元和3年(1617)、膳所藩(滋賀県大津市)から戸田氏鉄が5万石で入封し城の拡張と城下町の整備が行われました。寛永12年(1635)、氏鉄が大垣藩(岐阜県大垣市)に移封になると掛川藩(静岡県掛川市)から青山幸成が5万石で入封、正徳元年(1711)4代青山幸秀が飯山藩(長野県飯山市)に移封になると掛川藩から松平忠喬が4万8千石で入封、松平家は7代藩主を世襲し明治維新を迎えています。城跡は明治時代以降、払い下げと開発、埋め立て、石垣などの再利用などにより悉く破却され殆ど原形を喪失、現在見られる土塀や石垣は後年模擬復元されたものです。
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