平福宿: 利神城

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利神城
利神城
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歴史・観光・見所
利神城概要: 利神城利神城の築城は貞和5年(1349)、播磨守護職赤松家の一族別所敦範によって築かれたのが始まりとされます。嘉吉元年(1441)、嘉吉の乱により利神城が落城し別所氏も衰退しましたが、文正元年(1466)、別所家の後裔とされる別所治定が復権します。戦国時代、羽柴秀吉の播磨侵攻により当時の城主別所定道は恭順しましたが、跡を継いだ林治は三木城主別所長治に呼応し織田信長と対立した為、天正6年(1578)、織田方となっていた尼子勝久、山中幸盛らに攻められ落城しています。その後、領主となった宇喜多直家は備前国を中心とする大名となり、跡を継いだ秀家は幼少の頃から秀吉の元で育てられ、後に五大老の1人として大きな影響力を持ちました。関が原の戦いで秀家は西軍に属した為改易となり代わって慶長6年(1601)に池田輝政が領主となり平福領には甥にあたる由之に2万2千石を与えました。由之は利神城を近代的城郭へと大改修し、総石垣造りに3重の天守閣を設け、2万石程度の大名には似つかわしくない城が建設されました。完成を見た輝政は驚き、直ちに天守閣を破却させ規模を縮小させたと伝えられています。元和元年(1615)、池田輝興(輝政の6男)が2万5千石が与えられ平福藩を立藩しますが寛永8年(1631)、輝興が赤穂藩を継いだ為、平福藩は廃藩となり利神城も廃城となります。
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