赤穂市坂越: 大避神社

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大避神社
大避神社
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大避神社 大避神社 大避神社 大避神社
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概要・歴史・観光・見所
大避神社(赤穂市坂越)概要: 大避神社大避神社の創建は不詳ですが大化3年(647)、当地域を開発者した秦河勝が死去すると住民達が御霊を祀る祠を建立した事が始まりと伝えられています。当初は大荒や大酒と称していましたが治暦4(1068)に大避神社に改称しています。秦河勝は聖徳太子の側近ともされる人物でしたが、太子が死去すると蘇我入鹿と対立し、当地に逃避又は移封になったとされ、境内前に浮かぶ生島に葬られたと伝えられています(生島は神域の為、一般人の上陸が許可されていない。)。古くから神仏習合し、別当寺院(神宮寺)である妙見寺が祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され県社に列しています。参道の随神門(延享年間建築、入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門)には随神像と仁王像が安置され、隣地に妙見寺観音堂が建立されているなど当時の名残が見られます。坂越港は古くから天然の良港として知られ瀬戸内海有数の廻船業(西廻り航路)の拠点として発展した事から、大避神社はその信仰の対象となり絵馬堂には40余の絵馬が奉納され、信仰の篤さが窺えます。又、瀬戸内海を参勤交代の航路として利用した西国大名も篤く信仰し熊本藩主細川氏は自ら参拝したとされます。例祭の「坂越の船祭り」は大阪天満宮の天神祭、安芸厳島神社の管絃祭とともに瀬戸内海三大船祭りの1つに数えられる祭礼で、大避神社の創建の由来となった秦河勝が当地に下向する様子を伝える貴重な行事として平成4年(1992)に選択無形民俗文化財(記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)に選択され平成24年(2012)に国指定重要無形民俗文化財に指定されています。漕船(2隻)、楽船、御座船、警護船、歌船が兵庫県指定有形民俗文化財に指定されています。本殿は明和6年(1769)に再建された建物で三間社入母屋造、銅板葺、正面千鳥破風、正面1間軒唐破風向拝付。拝殿は延享3年(1746)に再建されたもので入母屋、本瓦葺、妻入、正面1間軒唐破風向拝付。祭神:大避大神、天照皇大神、春日大神。
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