中山寺概要: 中山寺の創建は不詳ですが、伝承によると紫の雲たなびく霊地に聖徳太子により開かれたのが始まりとされます。元々境内は仲哀天皇の后大仲姫の墳墓とされる中山寺古墳(洞内−横幅2.5m、奥行3.6m、高さ3.2m)跡で安産手水鉢と呼ばれる石造物はその古墳の石棺とされ、ここで手を洗うと安産になると伝えられています。皇室や為政者、歴代領主からも崇敬庇護され、平安時代中期には領主源満仲(多田源氏)と関係が深く、寿永年間(1182〜83)の兵火で多くの堂宇が焼失すると鎌倉幕府初代将軍となった源頼朝が再建しています。天正年間(1573〜92)荒木村重と織田信長との兵火により再び焼失すると、慶長8年(1603)、豊臣秀頼の命で片桐且元が境内の整備を行っています。伝承によると豊臣秀吉が中山寺に子授祈願を行ったところ見事、淀君が懐妊したとされ、以来豊臣家から帰依されたとそうです。江戸時代には徳川将軍家から庇護され正保5年(1648)には3代将軍徳川家光により山門が造営されています。幕末には中山一位局が安産祈願を行い無事、明治天皇が生れた縁で明治天皇の祈願寺となりました。西国三十三箇所24番。真言宗十八本山4番。摂津国八十八箇所69番。摂津国八十八箇所70番。摂津国八十八箇所71番。摂津国三十三箇所1番。聖徳太子御遺跡26番。神仏霊場巡拝の道第80番。近畿三十六不動尊霊場21番。
中山寺の文化財
・ 木造十一面観音菩薩立像−平安時代後期−国指定重要文化財
・ 木造薬師如来坐像−平安時代後期−国指定重要文化財
・ 木造聖徳太子勝鬘経講讃坐像−鎌倉〜室町−国指定重要文化財
・ 木造大日如来坐像−平安時代後期−国指定重要文化財
・ 大門(楼門)−天保5年−兵庫県指定重要文化財
・ 本堂−慶長8年−兵庫県指定重要文化財
・ 護摩堂−慶長8年−兵庫県指定重要文化財
・ 木造十一面観音立像(2躯)− 鎌倉時代−兵庫県指定重要文化財
・ 白鳥塚古墳−古墳時代後期−兵庫県指定史跡
・ 木造薬師如来坐像−宝塚市指定文化財
・ 木造愛染明王坐像−宝塚市指定文化財
・ 鉄製吊燈籠−宝塚市指定文化財
・ 銅製鰐口−宝塚市指定文化財
・ 「豊国大明神」神号(紙本墨書豊臣秀頼筆)−宝塚市指定文化財
・ 星下り祭−宝塚市指定無形民俗文化財
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