明石市: 柿本神社

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柿本神社
柿本神社
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柿本神社 柿本神社 柿本神社 柿本神社
柿本神社 柿本神社 柿本神社 柿本神社
概要・歴史・観光・見所
柿本神社(明石市)概要: 柿本神社柿本神社の創建は仁和3年(887)、当時の楊柳寺(現在の月照寺)の住職:覚証の霊夢に柿本人麿が立った為、調べてみると境内裏手の小塚に人麻呂の御霊が留まっている事が分かり祠を建てて祀ったのが始まりと伝えられています。一方、月照寺の由緒によると大和国の広安寺から覚証から人麻呂の念持仏とされる十一面観音像を勧請して奥の院に安置したのが始まりとしています。又、「古今和歌集」に列記されている「ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島隠れゆく舟をしぞ思ふ」の作者が人麻呂との説から、人麻呂と明石が深い繋がりがあり何らかの信仰があったのかも知れません。何れにしても中世以降、明石には人麻呂の供養塔又は、祭る社があった事は中央にも知られていたようで、天正9年(1581)には豊臣秀吉が境内地のある大明石村に田地30石が寄進し江戸時代初期まで追認されています。当時は明石の岡にありましたが元和5年(1619)、明石城が築城されと現在地に移され元和6年(1620)には社殿が造営され、初代明石藩主小笠原忠政は人麿を崇敬した事もあり月照寺と併せて社領40石が安堵され庇護されました。明石城の本丸には社殿の跡地に改めて人丸社が設けられ明石城の鎮守社として崇敬され、廃城になった現在も人丸塚が残されています。寛文4年(1664)には藩主松平信之が「亀の碑」と呼ばれる「播州明石浦柿本太夫祠堂碑」を建立し享保8年(1723)の人麻呂死後千年には正一位柿本大明神の神位神号が賜っています。古くから神仏習合していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により月照寺と離れて神社として独立し(本地仏だった十一面観音像は月照寺に遷されています)、明治7年(1874)に村社、明治12年(1879)に郷社、大正15年(1926)に県社に列しました。本殿は一間社流造、銅板葺。拝殿は入母屋、本瓦葺、平入、正面千鳥破風、桁行5間、梁間3間、正面1間唐破風向拝付。神門(神社山門)は切妻、銅板葺、三間一戸、八脚単層門。

柿本神社の文化財
 ・ 後桜町天皇宸翰短籍(45葉)−明和4年−後桜町天皇奉納−国指定重要文化財
 ・ 仁孝天皇宸翰及一座短籍(49葉)−天保11年−仁孝天皇奉納−国指定重要文化財
 ・ 播州明石浦柿本大夫祠堂碑−寛文4年−松平信之奉納−明石市指定文化財
 ・ 絵馬(猿の図・森狙仙筆)−文化11年−丁字屋宗兵衛奉納−明石市指定文化財
 ・ 石造狛犬−宝暦4年−砂岩製、播磨地区最古−明石市指定文化財

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