三田市: 感応寺

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感応寺
感応寺
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感応寺 感応寺 感応寺 感応寺
感応寺・歴史・観光・見所
感応寺概要: 感応寺の創建は大化2年(646)、天竺から紫雲に乗り来日した法道仙人により開かれたのが始まりと伝えられています。当初は比僧山山頂付近にありましたが、室町時代以降領主である波多野氏と関係を深め為、織田信長の丹波侵攻の兵火により焼き討ちになっています。当時の感応寺は波多野氏の守護寺として庇護され周辺の中心的な寺院だった為、信長の兵が波多野氏の居城である八上城を取り囲んだ際には密かに城に兵糧を運び込み篤く援助していました。その事を察した織田家家臣の明智光秀は補給路を絶ち、さらに感応寺まで侵攻し境内に火を放っています。伝承によると、兵火にあった際、寺宝である金の鶏を池に沈め隠したとされ、その金の鶏の鳴き声を聞くと何人も幸せが訪れ、何時しかその池を「竜神池」と呼ぶようになったと伝えられています。その後、清運法師が現在地に移し再興、寺宝である聖観音菩薩立像と弘法大師行状絵図が三田市指定文化財に指定されています。
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