観福寺概要: 観福寺の創建は舒明天皇12年(640)頃、天竺から紫雲に乗りこの地を訪れた法導仙人によって開かれたのが始まりとされます。平安時代以降、当地の領主となった多田満仲から庇護され貞元元年(976)に大地震で伽藍が大破すると寛和2年(985)に再建、最盛期には当地地域の中心的な寺院として塔頭七坊を擁する大寺となりました。その後も歴代領主から庇護され、天文10年(1541)の火災で焼失後には十倉城の城主森本備後守が再建、江戸時代には麻田藩4代藩主青木重矩が紺紙金字大般若経を寄進しています。古くから神仏習合し、延喜式式内社である高売布神社の別当寺として祭祀を司ってきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により寺院として独立しています。山門は天文17年(1548)に再建されたもので、入母屋、茅葺、三間一戸、単層八脚門、江戸時代初期の寺院山門建築の遺構として貴重なことから兵庫県指定文化財に指定されています。
観福寺の文化財
・ 四座講式−永正元年−三田市指定文化財
・ 紺紙金字大般若経−享保11年−三田市指定文化財
・ 仁王像−室町時代−三田市指定文化財
・ 仁王門−天文17年−兵庫県指定文化財
・ 理趣三昧行法次第−天文18年−三田市指定文化財
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