養父市: 養父神社

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養父神社
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概要・歴史・観光・見所
養父神社(但馬国三宮)概要: 養父神社養父神社の創建は不詳ですが伝承によると崇神天皇30年(紀元前68年)に勧請されたのが始まりと伝えられています。当初は弥高山(標高:372年)の山頂に上社(大己貴命)、中腹に中社(倉稲魂命、少彦名命)、現在地に下社(谿羽道主命)がありましたが時代が下がると上社、中社は消失しています(祭神は諸説あり記載されたものにより多少異なり、現在は、倉稻魂命、大己貴命、少彦名命、谿羽道主命、船帆足尼命が祭られています)。記録的には天平9年(737)に編纂された但馬国税正帳にその名が記され、大同元年(806)には神戸4戸が安堵、「続日本後記」によると承和12年(845)に従五位下、「三大実録」によると貞観11年(869)に正五位下、貞観16年(874)に正五位上に列しました。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社として記載され但馬国三宮に位置付けられ但馬五社(出石神社:豊岡市・粟鹿神社:朝来市・養父神社:養父市・絹巻神社:豊岡市・小田井縣神社:豊岡市)の一つに数えられました。何時頃からか神仏習合し、中世に入ると最盛期を向かえ境内には5坊を擁し、三重塔が建立されました。江戸時代までは神仏習合し「藪崎大明神」や「養父大明神」などと称していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治10年(1877)に郷社、明治12年(1879)に県社に列し明治43年(1910)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。本殿は元禄9年(1609)に建てられたもので三間社入母屋造、桧皮葺、正面千鳥破風、桁行6.88m、梁間3.88m、正面1間軒唐破風向拝付、向拝木鼻には獅子、欄間には龍、妻面には力士の精緻な彫刻、江戸時代初期に建てられた大型本殿建築の遺構として貴重な事から平成22年(2010)に兵庫県登録有形文化財に登録されています。拝殿は入母屋、銅板葺、平入、桁行6間、梁間2間、正面1間向拝付、平成22年(2010)に兵庫県登録有形文化財に登録されています。山野口神社本殿は元禄9年(1609)に建てられたもので切妻、銅板葺、正面千鳥破風、正面1間軒唐破風向拝付、江戸時代初期に建てられた大型本殿建築の遺構として貴重な事から平成22年(2010)に兵庫県登録有形文化財に登録されています。五社神社本殿は三間社流造、銅板葺、正面3間向拝付、平成22年(2010)に兵庫県登録有形文化財に登録されています。神門(神社山門)は切妻、銅板葺、一間一戸、四脚門、左右に随神が安置されています。祭神:倉稻魂命、大己貴命、少彦名命、谿羽道主命、船帆足尼命。
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