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兵庫県・名所・見所 |
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城崎温泉概要: 城崎温泉の開湯には諸説あり、城崎温泉の温泉街にある7つの外湯の1つ「鴻の湯」は舒明天皇の御代(629)にコウノトリが湯浴びをして足に負った傷を癒しているを見つけたのが城崎温泉の起こりと伝えられています。又、同じく外湯の「まんだら湯」では養老元年(717)諸国巡錫中の道智上人が四所明神に参拝に訪れると霊湯の場所の御告げがあり城崎温泉の源泉を発見することが出来たと伝えられています。天平10年(738)には城崎温泉を開湯した道智上人が温泉寺を開山し湯治場であると共に門前町としても周辺の信仰の対象にもなり西国薬師49霊場第29番札所。西国33観音霊場番外札所。但馬西国33箇所第33番札所などの多くの巡礼者が訪れました。以来、城崎温泉は皇族や武将、文人墨客などが訪れ、嘉禄2年(1226)には藤原定家の日記である「名月記」7月2日の条に「木崎湯治」が記され、 文永4年(1267)には安嘉門院(後高倉上皇の第3皇女)が城崎温泉を訪れて入湯した湯が外湯の1つ「御所の湯」の由来となっています。江戸時代に入ると城崎温泉の名声は広がり全国の温泉番付では西の関脇に名を連ね、古方派(漢方医術の一派)の漢方医、香川修徳が城崎温泉の泉質を絶賛し、著作である「一本堂薬選」で「但州城崎新湯を最第一とす」(新湯はこの記述から海内一を称し「一の湯」に改名しました。)と記しています。幕末では桂小五郎が京都から城崎温泉へ逃げ隠れたとされ(松本屋)、当時も数多くの人達が湯治や巡礼など賑わって人に紛れる事が出来たと思われます。城崎温泉の効能は軍隊からも重要視され日露戦争時では負傷した兵士の傷を癒す為寮養所が設置され第二次世界大戦中は軍人病院として利用されまた。又、城崎温泉は文学の舞台にもなり志賀直哉の作品である「城の崎にて」は心境小説の代表的な作品とされています。
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城崎温泉の泉質−ナトリウム・カルシウム-塩化物・高温泉(摂氏42℃)
城崎温泉の効能−神経痛・筋肉痛・うちみ・慢性・消化器病・痔病・疲労回復等
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城崎温泉 |
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城崎温泉:観光・見所 |
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