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兵庫県・名所・見所 |
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姫路市概要: 姫路市は古代播磨国の中心だった地域で、奈良時代の7世紀には国府が設置され本町遺跡は国庁跡とも推定されています。天平13年(741)に聖武天皇が国家鎮護を理由に全国の各国毎に国分寺の創建を勅命し、播磨国では現在の姫路市御国野町に国分寺が設けられました。名称の由来には諸説ありますが奈良時代初期に編纂された「播磨国風土記」には既に「日女道丘」の名称が記載されおり、姫山と鷺山が重なると蚕(カイコ=ヒメコ)の繭のような姿に見えるからとも云われています。戦国時代に入ると赤松氏(播磨国守護職)の拠点の1つとして姫路城が築かれ、小寺職隆(黒田職隆・黒田官兵衛の父親)が城代になるとさらに拡張されます。当地域が織田信長の勢力下に入ると、その抑えとして姫路が重要視され羽柴秀吉は3層の天守閣を設けるなど城を拡張整備し中国進出の拠点としました。江戸時代に入ると関ヶ原の合戦で東軍に付き大功のあった池田輝政が52万石の大大名として入封し姫路藩を立藩し初代藩主となり現在の姫路市の基礎となる城下町の建設や領内整備を行います。姫路の地は西国の外様大名を抑える拠点として重要視された為、池田家が移封の後(池田家は外様大名でしたが正室を徳川家から迎え入れるなど准一門として扱われました)は本多家、松平(奥平)家、松平(越前)家、榊原(松平)家、松平(越前)家、本多家、榊原家、松平(越前)家と親藩や有力譜代大名が歴任し寛保元年(1741)に酒井忠恭が前橋藩(群馬県前橋市)から15万石で入封すると以後10代に渡り酒井家が藩主を歴任し明治維新を迎えています。
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姫路市 |
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姫路市:観光・見所 |
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