豊岡市: 久々比神社

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久々比神社
久々比神社
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久々比神社 久々比神社 久々比神社 久々比神社
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概要・歴史・観光・見所
久々比神社(豊岡市)概要: 久々比神社の創建は不詳ですが奈良時代に成立した「日本書紀」によると垂仁天皇23年(紀元前7年)、誉津別王(垂仁天皇の皇子)は年頃になっても全く話す事がありませんでしたが、ある日、コウノトリを見つけると大変興味を持たれ「一体、あの不思議な鳥は何であろう」と初めて話しました。天皇は皇子が初めて話した事に歓喜し、天湯河板挙命にコウノトリを捕獲するように命じ、但馬国(現在地)で捕まえる事が出来ました。天湯河板挙命はコウノトリを捕まえた功により鳥取造の姓を賜り、その故事に因み久々比神社(コウノトリの古称、クグイ=久々比)の社号の由来になったそうです。格式も高く、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として列格した但馬国城崎郡21座の内の1座で、近隣6集落(下宮、鎌田、庄境、中庄境、栄町、祥雲寺)の氏神として信仰されました。古くから神仏習合し「宗像大明神」などと呼ばれてきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治6年(1873)に村社に列しています。現在ではコウノトリに縁がある事から子宝に御利益があるとして信仰されています。現在の本殿は永正4年(1507)に再建されたもので三間社流造、こけら葺、正面3間向拝付、蟇股や斗、肘木、象鼻などの彫刻や細部の技法など見所が多く、室町時代末期の大型本殿建築の遺構として大変貴重な存在で棟札1枚と共に昭和33年(1958)に国指定重要文化財に指定されています。神門(神社山門)は切妻、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門、割拝殿風。拝殿は入母屋、桟瓦葺、平入、桁行3間、梁間1間半、正面1間向拝付。祭神:久久遅命、又は天湯河板挙命、又は多紀理比売命。
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