正福寺 |
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[ 付近地図: 兵庫県豊岡市 ]・[ 豊岡市:歴史・観光・見所 ] |
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正福寺概要: 豊岡は忠臣蔵、元禄赤穂討ち入り事件の中心人物、大石内蔵助良雄の妻りくの出身地です。りくは豊岡藩の家老石束家の長女として生まれ18歳の時に内蔵助に嫁ぎ、2男2女を設けます。元禄15年(1702)、討ち入りの覚悟を決めた内蔵助は長男主税を残して、りくと3人の子供を豊岡に返しその後正式に離婚、罪がりくやその家族まで及ばないようにしたとも云われています。当初は実家である石束家に滞在しましたが、夫の切腹を知ると正福寺に身を寄せたとされ、その間長女のくうと2男の吉之進が相次いで逝去し新たに3男大三郎が生まれています。正徳3年(1713)、周囲の努力もあり大三郎が広島浅野家に仕官が決まり、りくと3女るりも広島に移る事になりました。元文元年(1736)、りくが広島で逝去すると遺言によりくうが埋葬された正福寺に遺髪が送られ遺髪塚が設けられました(吉之進は連座を恐れて早々と出家し興国寺に移った為の墓は旧興国寺境内にあり正福寺のものは供養塔と云われています。)。
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