豊岡市: 小田井縣神社

  兵庫県:歴史・観光・見所豊岡市:観光>小田井縣神社

小田井縣神社
小田井縣神社
[ 付近地図: 兵庫県豊岡市 ]・[ 豊岡市:歴史・観光・見所 ]
小田井縣神社 小田井縣神社 小田井縣神社 小田井縣神社
歴史・観光・見所
小田井縣神社(豊岡市)概要: 小田井縣神社の創建は崇神天皇の御代(紀元前68年)、四道将軍である丹羽道主命がこの地の開発神である国作大己貴命の分霊を勧請したのが始まりとされ、神功皇后摂政3年の新羅征伐の際に大海童神の分霊を下座に勧請しています。古くから朝廷からも知られた存在で白鳳3年(674)に大旱魃が発生すると物部韓国連久々比が雨乞いの祈願を行っています。格式も高く承和9年(842)に官社に指定されると仁寿元年(851)に正六位、貞観10年(868)に従五位上に列し延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内小社として記載されています。粟鹿神社出石神社養父神社絹巻神社と共に但馬国五社大明神の1社に数えられ、弘安年中(1278〜1287年)には社領31町3反余が安堵、元弘3年(1333)には後醍醐天皇より、正一位の神階を賜わっています。中世以来、神仏習合し最盛期には4ヶ寺(金剛寺、妙樂寺、正法寺、三坂寺)を擁するなど社運も隆盛しますが、天正3年(1575)の野田合戦の兵火により多くの社殿、社宝、記録などが焼失し、天正年中(1573〜1591年)に羽柴秀吉から多くの社領が没収され急速に衰退します。貞享年中(1684〜1687年)に再興され、元文年中(1736〜1740年)に現在の社殿が再建しています。古くから神仏習合し「小田井大明神」と呼ばれていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治6年(1873)に県社に列し、昭和6年(1930)に円山川治水工事のため現位置に遷座しています。神門(神社山門)は切妻、桟瓦葺、一間一戸、四脚門。拝殿は入母屋、銅板葺、妻入、正面1間軒唐破風向拝付。本殿は切妻、銅板葺、妻入、正面1間軒唐破風向拝付。祭神:国作大己貴命又は宇麻志摩遅命。
住宅設計案内

 豊岡市観光・旅行見所ナビ:
旧豊岡中学校本館旧兵庫県農工銀行豊岡支店東楽寺久々比神社雷神社絹巻神社但馬国分寺豊岡陣屋(旧豊岡県庁正門)中嶋神社
小田井縣神社酒垂神社雅成親王陵豊岡市役所庁舎正福寺竹野海岸豊岡城
 
 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「兵庫県歴史観光案内所」は「兵庫県の歴史」、「郷土資料辞典−兵庫県」、「日本の城下町−関西」、「城郭と城下町−関西」、「関西道二」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。