豊岡市・歴史・観光・見所

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豊岡市・歴史・観光・見所
豊岡市概要: 豊岡市の中心部は古くから人々が生活してきた場所で数多くの旧石器時代や縄文時代の遺跡が発見されています。古墳時代も巨大権力を持った豪族は確認されていないものの、3千基を超える小規模の古墳が認められ何らかの集団が存在していたと思われます。天平年代になると但馬国の中心部は日高町周辺となったと推定され天平13年(741)には但馬国分寺、国分尼寺が建立され延暦23年(804)には国府を遷しています(それ以前は出石神社周辺にあったと推定されています。)。延長5年(927)に編纂された延喜式では「近国」、「上国」とされ、但馬国が京都に隣接した重要な国であった事がわかります。室町時代には但馬守護の山名氏が支配しましたが、居城は出石町にある此隅山城や有子山城としました。豊岡市中心部周辺は家臣である垣屋氏が配され、15世紀の中期には豊岡城(城崎城)を築城します。戦国時代に入ると垣屋氏が半独立領主として周辺を支配し太田氏・八木氏・田結庄氏と共に山名四天王に数えられ大きな影響力を与えます。天正8年(1580)、羽柴秀吉による但馬侵攻後は秀吉の家臣である宮部継潤が入り、豊岡城の改修と城下町の整備などを行います。天正10年(1582)、秀吉が因幡に侵攻すると継潤は鳥取城鳥取県鳥取市)の城主になり豊岡城には木下重堅・尾藤知定・明石則実・福原道高といった諸将達が城主となります。慶長2年(1597)に2万石で入封した杉原氏は関ヶ原の戦いで西軍に付き田辺城京都府舞鶴市)攻防戦にも参加しますが、正室が浅野長政の娘であった為、領土が安堵され豊岡藩初代藩主となりました。しかし、承応2年(1653)3代重玄に嫡子が無かった為豊岡藩は廃藩となり、豊岡城も廃城、その後、天領を経て寛文8年(1668)から京極高盛が3万5千石で入封し豊岡藩を立藩し、以後、京極氏が豊岡藩主を歴任し明治維新を迎えます。
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