赤穂城 |
|
[ 付近地図: 兵庫県赤穂市 ]・[ 赤穂市:歴史・観光・見所 ] |
|
赤穂城概要: 赤穂城の前身である加里屋城は文正元年(1466)、当時の播磨・備前・美作守護赤松満祐の一族である岡光広によって築かれたのが始まりとされます。天正年間(1573〜91)宇喜多秀家が岡山城(岡山県岡山市)の支城として利用し、慶長5年(1600)に姫路藩領になると池田長政(姫路藩主池田輝政の弟)が赤穂領に配され、改めて大鷹城を築城しました。慶長18年(1613)に岡山藩領となり、元和元年(1615)からは岡山藩主池田忠継の弟である池田政綱が赤穂領3万5千石が与えられ岡山藩から独立し赤穂藩を立藩します。正保2年(1645)、2代藩主輝興が改易になると一時備中松山藩主水谷勝隆の預かりとなりましたが浅野長直が笠間藩から5万3千石で入封します。前任の池田氏は城持大名ではなかった為、慶安元年(1648)に改めて幕府から許可を得て赤穂城を築城し寛文元年(1661)に一応の完成をみています。元禄14年(1701)、元禄赤穂事件により浅野家が改易になると一時龍野藩主脇坂安照預かりとなり元禄15年(1702)永井直敬が烏山藩(栃木県烏山市)から3万3千石で入封します。宝永3年(1706)、直敬が飯山藩(長野県飯山市)に移封になると江原藩から森長直が2万石で入封し明治維新まで森家が13代藩主を歴任します。赤穂城は変形輪郭式平城で洋風城郭である五稜郭に似た特異な形状になっており多方向同時射撃が可能になっています。天守閣は築かれなかったたものの天守台は設けられ、小石の大名にしてはかなり積極的に城郭が計画されました。
|
|
|
|
|
|
※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「兵庫県歴史観光案内所」は「兵庫県の歴史」、「郷土資料辞典−兵庫県」、「日本の城下町−山陽」、「城郭と城下町−山陽」、「山陽道」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。 |
|