赤穂市: 大石神社

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大石神社
大石神社
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大石神社 大石神社 大石神社 大石神社
大石神社 大石神社 大石神社 大石神社
概要・歴史・観光・見所
大石神社(赤穂市)概要: 大石神社の創建は大正元年(1912)、大石内蔵助はじめ元禄赤穂事件で切腹した47義士の御霊を勧請し社殿を建立したのが始まりです。元禄15年(1702)、吉良邸討ち入りを見事完遂し47義士が切腹すると、赤穂の住民が彼らを神格化して密かに祠を設けて祭ったとされ、明治33年(1900)に明治天皇の宣旨を契機に「大石神社」の創立の許可が下り、明治43年(1910)から境内の整備が始まり大正元年(1912)に完成をもって御霊が勧請され創建しました。昭和3年(1928)に県社に列し、太平洋戦争後に別表神社に指定され、平成12年(2000)に境内社だった山鹿社(祭神:山鹿素行命)、天満宮、八田社(塩田の守護神)、恵比寿社、国助稲荷、淡島社、忠魂社が合祀殿に合祀されています。境内は大石内蔵助の屋敷跡で、内蔵助が生活していた時の唯一の遺構として長屋門(入母屋、本瓦葺、桁行26.8m、梁間4.8m)が現存し大正12年(1923)に国指定史跡に指定されています。又、庭園には元禄7年(1694)に備中松山城(岡山県高梁市)引取りの際、任務達成の祈願の為旧領である笠間藩から笠間稲荷神社(茨城県笠間市:日本三大稲荷)の分霊を勧請した大石稲荷社が鎮座しています。神門は明治5年(1872)に湊川神社(兵庫県神戸市)のものとして建立されたものを昭和17年(1942)に移築したもので入母屋、銅板葺、総欅造、一間一戸、四脚門、47義士の忠芬義芳を千歳までも伝えるという意味から「義芳門」と呼ばれています。赤穂浪士は宿願である吉良討ち入りを果たした事から大願成就に御利益があるとして多くの参拝客が訪れています。祭神:赤穂浪士47人、萱野重実、浅野氏3代(浅野長直・浅野長友・浅野長矩)、森家七将(森可成、森可隆、森長可、森成利、森長隆、森長氏、森忠政)。
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