神護寺 |
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[ 付近地図: 兵庫県赤穂市 ]・[ 赤穂市:歴史・観光・見所 ] |
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神護寺概要: 神護寺の創建には諸説あり文治年中(1185〜90)、文覚小人が開いたとも天平神護(765〜66)に和気清麻呂が開き年号から神護寺と称するようになったとも云われています。その後、寺運は隆盛しましたが室町時代中期の応仁の乱の兵火により焼失し明応年間(1492〜1501)に長慶法師が再建しました。戦国時代の兵火により再び焼失し衰微しましたが、正保2年(1645)に浅野長直が赤穂藩主となると、赤穂城から見て高尾山が北東方向に当たる為、鬼門鎮護として重要視されるようになり寛文3年(1663)に山王権現が勧請されその神宮時として当寺の再興、再建が図られました。昭和30年代に無住になると仏像が赤穂市内にある如来寺に移されますが、境内には寛文5年(1665)に大石内蔵助良欽が奉納した手洗石や寛文6年(1666)に大石頼母助が奉納した石燈籠、貞享4年(1687)に大石内蔵助良雄が奉納した石燈籠などが残りそれぞれ赤穂市指定文化財に指定されています。
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