篠山市: 八上城

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八上城
八上城
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八上城・歴史・観光・見所
八上城概要: 八上城八上城の築城年は不詳ですが大永6年(1526)に記載された記録に度々「矢上城」の記述があることから、少なくとこれ以前から存在していたと思われます。当時は領主の波多野氏は主家である細川氏から独立し、八上城を中心に丹波地方の支配を確立しようとした過渡期で、八上城も細川氏からの攻撃目標として戦場となっています。天文7年(1538)には当時の城主波多野秀忠が丹波守護代内藤氏を破り事実上丹波を支配下に収め幕府内でも大きな影響力を持つようになります。天文21年(1552)、細川氏の一族争いから八上城も戦場となり、その後も松永氏や三好氏との抗争が続き永禄2年(1559)には城を奪取されます。永禄9年(1566)に復権したものの、情勢は不安定で、八上城も拡張を重ね各支城も随時整備されていきます。永禄11年(1568)に織田信長に従属し明知光秀に従いますが天正4年(1576)、足利義昭が信長追討令を発令すると呼応し信長軍を離反、光秀の背後を付くことで勝利を収めます。天正6年(1578)に明智光秀が丹波侵攻が開始されると籠城戦となり天正7年(1579)には城主波多野秀治と弟の秀尚が安土城(滋賀県近江八幡市安土町)に出頭することで一時和平しましたが、2人が処刑された事で再び対立し八上城が落城、戦国大名としての波多野氏は滅亡します。その後、明智光秀、前田玄以、前田茂勝が城主となり慶長13年(1608)に茂勝が改易されると、松平康重が篠山城を新たに築いた為、慶長14年に廃城となります。八上城は国指定史跡に指定されています。
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