篠山城 |
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[ 付近地図: 兵庫県 ]・[ 篠山市 ] |
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篠山城概要: 慶長14年(1609)、松平康重が笠間藩(茨城県笠間市)から八上城主に移封になると徳川家康の命で篠山城が築城されます。当地は交通の要衝で軍事的重要拠点の1つだった為、豊臣家が健在だった時代は西国大名と豊臣家を分断する布石となりました。築城には西国の大名20家、所謂天下普請による一大事業で縄張りを藤堂高虎、普請総奉行を池田輝政がそれぞれ勤め、6ヶ月という速さで篠山城は完成しました。天守閣は余りにも堅固すぎるという理由から建てられませんでしたが、本丸の北東の高台には殿守丸を配して、さらに天守台(東西19m、南北20m、石垣高さ17m)があり、本丸と2の丸には3重櫓が設けられ天守閣の代用となっています。城内には大手、南、東馬出からしか入る事が出来ず、その馬出にも枡形が設けた堅固な構造となっています。本丸(当時の2の丸)に設けられた大書院は京都二条城の御殿を模したものとされ東西28m、南北26mと規模も大きく格式の高いものでしたが昭和19年の火災により焼失しています(平成12年再建)。元和5年(1619)に康重が岸和田藩に移封になると高崎藩(群馬県高崎市)から松平信吉が入封。2代松平忠国が慶安2年(1649)に明石藩に移封になると高槻藩から松平康信が5万石で入封。寛延元年(1748)、5代松平信岑が亀山藩に移封になると代わって亀山藩から青山忠朝が5万石で入封しました。青山家は6代藩主を世襲して明治維新を迎えています。
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