書写山円教寺概要: 円教寺の創建は康保3年(966)、性空上人が当地を訪れたところ、書写山山頂に紫雲がたなびくのを発見、霊地と悟り草庵を設けたのが始まりと伝えられています。性空上人は下級貴族である橘善根の子供でしたが36歳で出家、天台宗の重鎮である慈恵大師良源や霧島山、背振山などの霊山で修行を積み書写山にたどり着きました。性空上人が開いた草庵は当時の播磨国司藤原季孝が庇護した為、次第に境内が整備された他、寛和2年(986)、長保4年(1002)の2度に渡り花山天皇が訪れるなど天皇家からの帰依により次第に寺運も隆盛しました。花山天皇は「円教寺」の寺号を与えると共に、西国三十三所霊場を再興し円教寺もその27番札所として広く知られるようになりました。その後も天皇家とは繋がりが強く、鎌倉時代初期の承安4年(1174)には後白河法皇が1週間に渡り参籠し、元弘3年(1333)には隠岐島を脱出した後醍醐天皇が円教寺に逃れています。又、伝承では武蔵坊弁慶や和泉式部、一遍上人など著名人縁の寺院でもあります。室町時代に入ると初代将軍足利尊氏が寺領を寄進するなど足利将軍家から庇護された事で「西の比叡山」との呼び声も高くなり、比叡山延暦と大山寺と共に「天台宗三大道場」とも呼ばれました。戦国時代には寺領2万7千石となり大きな影響力を持ちますが、羽柴秀吉が領主になると不和となり多くの寺領が没収され仏像や寺宝なども持ち去られ衰退しました。江戸時代に入ると歴代姫路藩主が菩提寺として庇護し、朱印地833石が認められた他、諸堂の修復、再建が進められ境内には本多家、松平家、榊原家の霊廟が建立されました。
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書写山円教寺の主要文化財
・ 円教寺境内−国指定史跡
・ 大講堂−永享12年−国指定重要文化財
・ 常行堂−享徳2年−国指定重要文化財
・ 食堂−室町時代中期−国指定重要文化財
・ 鐘楼−元弘2年−国指定重要文化財
・ 金剛堂−天文12年−国指定重要文化財
・ 護法堂(乙天社・若天社)−永禄2年−国指定重要文化財
・ 壽量院−江戸時代前期−国指定重要文化財
・ 木造釈迦三尊(釈迦・文殊・普賢)−平安時代中期−国指定重要文化財
・ 木造四天王立像(多聞・広目・増長・持国)−平安時代中期−国指定重要文化財
・ 丈六阿弥陀如来坐像−寛弘2年−国指定重要文化財
・ 摩尼殿−昭和8年−国登録有形文化財
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